大藤沙月の経歴や学歴を調査!急成長の理由はコーチの指導と向上心

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こんにちは、ラクエンです。

卓球・WWTファイナル盛り上がってますね。

11月21日の女子シングルスの試合では大藤沙月選手が伊藤美誠選手を3-1で破ってついにベスト8入りしました。

残念ながら22日の準々決勝ではルーマニアのセーチに0-3で敗れてしまいましたが、大藤沙月選手の急成長には驚かされますね。

そんな大藤沙月選手が急成長した理由には昨年10月から指導を受けている坂本竜介コーチとの出会い大藤沙月選手の向上心によるもののようです。

それでは大藤沙月選手の小学校から高校までの学歴や経歴についても調査していきたいと思います。

この記事でお伝えする内容
大藤沙月選手の小学校から高校までの学歴
大藤沙月選手の経歴
大藤沙月選手の向上心と坂本竜介コーチ指導方法
大藤沙月選手の急成長の理由
大藤沙月選手のまとめ

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大藤沙月選手の小学校から高校までの学歴

大藤沙月選手が通った小学校

福井県大野市有終南小学校

小学校の頃は、地元福井県のフェニックス卓球クラブに所属して卓球の指導を受けていました。

大藤沙月さんは小学生の頃から飲み込みが非常に早く、新しい技でもすぐに習得する選手だったそうです。

ですが、同い年の木原美悠選手にはいつも勝てなかったため、『万年2位』が小学校の高学年まで続くことになります。

小学校を卒業すると、大阪の名門

四天王寺中学校

大藤沙月選手は中学生になると小学校時代からの努力が実を結び、2018年の全中では女子団体優勝2連覇の達成と、シングルスも優勝、そして世界ジュニア選手権の日本代表にも選ばれるほどになります。

その後は目覚ましい活躍が続き、2020年1月の全日本選手権ではジュニア女子シングルス優勝、女子ダブルス2年連続準優勝という快挙を達成しています。

中学校を卒業すると

四天王寺高校

に進学しますが、2020年には新型コロナウイルスの流行で多くの大会が中止になり、大藤沙月選手が優勝を狙っていたインターハイも中止となってしまいます。

そして、大藤沙月選手は翌年のインターハイでは女子ダブルスで優勝します。さらに、2022年には女子シングルスで自己最高のベスト8入りを果たしています。

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大藤沙月選手の経歴

大藤沙月選手は2004年5月16日生まれの20歳(現在)で、福井県大野市出身です。

卓球との出会いは非常に早く、わずか3歳の時にスポーツ少年団でコーチを務めていた父親の影響で競技を始めました。

3歳から卓球を始めたと聞くと、福原愛さんがテレビでラリーをやっていたシーンが思い浮かびますが、大藤沙月選手も同じような練習をされていたのかもしれないですね。

小学校に入ると、大藤沙月選手は自宅のリビングにあった卓球台で父親から指導を受けるようになります。

そして大藤沙月選手が小学校の時、父親の「もっと環境の整ったところで競技を続けさせたい」という思いから、福井のフェニックス卓球クラブに通い始めました。

大藤沙月選手は小学校の頃から才能を発揮していて、小学校2年生の時には全国2位の成績も収めているほどです。

小学校当時の指導者である平塚陽一郎コーチは、大藤沙月選手を「天才」と評していて、感覚が良く、同年代の子供たちよりも早く技術を習得できたそうです。

大藤沙月選手の中学・高校時代は大阪の四天王寺中学・高校に進学して、卓球の強豪校で腕を磨き、2020年と2021年には全日本選手権ジュニアの部シングルスで2連覇を達成するなど、10代から実力者として注目されていました。

現在はミキハウスに所属し、2021年からはTリーグの日本ペイントマレッツでプレーしています。

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大藤沙月選手の向上心と坂本竜介コーチ指導方法

大藤沙月選手の急成長の理由は、昨年10月から指導を受けている坂本竜介コーチとの出会いがあります。

坂本竜介コーチは、昨年10月からTリーグ・日本ペイントで大藤沙月選手の指導をしています。

もともと大藤沙月選手は、完璧主義で周りが見えなくなるネガティブな思考が多かったそうですが、坂本コーチから「失敗しても、いい勉強と思え」とアドバイスされるうちに、考え方に変化が表れてきたそうです。

大藤沙月選手はその時のことを「悪いことがあってもプラスに変えられる。視野が広がった」と振り返っていて、これが大藤沙月選手が急成長した大きな理由だと思います。

坂本竜介コーチのこの指導方法は、大藤沙月選手のことをしっかりと観察して、何が大藤沙月選手のプレーにブレーキをかけているかを見極めていたからこその指導だったのだと思います。

坂本コーチの心理面でのアプローチ大藤沙月選手が急成長する大きな理由を与えてくれたと思われます。

そして、技術面にも理由があり、急成長にかかわる大きな変更がありました。

それは、大藤沙月選手が2024年1月の全日本選手権シングルス6回戦で平野美宇選手に敗れた後、坂本コーチが大藤沙月選手にどうしたいかを尋ねると、「オリンピックに出たい」という答えが返ってきました。

それで、坂本コーチは「攻める卓球にしよう」と決意することができ、ラバーとラケットを振らないと相手コートに入らないものに変えることにしました。

この時坂本コーチが大藤沙月選手に「どうしたいか」を聞いたのにはちゃんとした理由があります。

それは、大藤沙月選手の口から「オリンピックに出場したい」という思いを認識してもらうことが大きな理由だったのだと思います。

つまり、坂本コーチの押し付けではなく、大藤沙月選手の自発的な意思を尊重することで、これから練習内容を大幅に見直すことできつい練習になっても納得してついてこれる気持ちの部分を大事にしたのだと思います。

大藤沙月選手にとって慣れないラケットやラバーでの練習では、ボールのコントロールがうまくいかず、もどかしい2か月を過ごすことになります。

それでも、大藤沙月選手がつらい練習を耐えて急成長できた理由は「今より実力をつけてオリンピックに出たい」という向上心があったからだと思います。

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大藤沙月選手の急成長の理由

大藤選手の急成長の理由は、主に3つあると考えられます。

1つ目の理由は、坂本コーチとの出会いによる心理面の成長が理由にあげられます。

完璧主義からポジティブ思考への転換が、大藤沙月選手の急成長に大きな影響を与えた理由だと思います。

2つ目の理由は、技術面での大胆な変更です。

攻撃的なスタイルへの転換と、それに伴うラケットやラバーの変更は、大藤沙月選手に合ったプレースタイルに一新させることに成功し、それが急成長につながっているのだと思います

3つ目の理由は、大藤沙月選手自身の強い向上心と努力です。

大藤沙月選手は慣れないラケットとラバーでの練習や下半身トレーニングなど、地道な努力が自分の成長につながることを信じて続けられたからこそ、今のような急成長を遂げることができているのだと思います。

これらの理由が相まって、大藤沙月選手は急激な成長を遂げて次期オリンピック候補の一人に名を連ねるまでに急成長しました。

そして、2024年11月現在、大藤沙月選手は世界ランキング8位という好位置で世界トップ選手と肩を並べるまでになっています。

4月初旬には世界ランク125位だった大藤沙月選手が、わずか半年ほどで8位まで急成長した理由は、坂本竜介コーチの適切な指導と大藤沙月選手の向上心の両輪がうまく回ったのが理由なのだと思います。

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大藤沙月選手のまとめ

大藤沙月選手の小学校から高校までの学歴は、福井県大野市有終南小学校、四天王寺中学校、四天王寺高校を卒業しました。

大藤沙月選手の向上心と坂本竜介コーチの指導方法については、坂本コーチは卓球のスタイルを根本から、大藤沙月選手に合うようにラケットやラバーまで変更した練習を提案しています。

この変更にはこれまでとは全く違った練習が求められましたが、大藤沙月選手自身にオリンピックに出場したいという思いを認識させることが向上心に繋がりました。

大藤沙月選手が厳しい練習に耐えて急成長した理由はオリンピックに出場するという向上心のおかげで成し遂げられていると思います。

それでは、最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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