ABBA(アバ)が解散した理由とは?子供や離婚との関係も【ドキュランドへようこそ】

ミュージシャン
スポンサーリンク

こんにちは、ラクエンです。

今回は40年以上前に大ブレークしたABBAがNHKの『ドキュランドへようこそ』で取り上げられるので詳しく見ていきたいと思います。

ABBAは1970年から1980年代初頭にかけて世界で最も注目されるスウェーデンのポップグループでした。

メンバーは男女2組の夫婦で構成されていて、

  • (A)アグネタ・フォルツコグ
  • (B)ビョルン・ウルヴァース
  • (B)ベニー・アンダーソン
  • (A)アンニ=フリッド・リングスタッド

4人の頭文字を取ってABBA(アバ)と名づけられました

その後、1979年にアグネタとビョルンが、1981年にベニーとフリーダが離婚し1982年には活動を停止し、人気絶頂の中で事実上の解散となりました。

この解散の理由にはアグネタの子供に対する思いやビョルンのキャリアに対する思いのすれ違いが大きく関係しているようです。

今回は、ABBAのメンバーが抱えていた、キャリアや子供への思いのすれ違いで離婚し、それがABBAの解散に結び付いていった過程を追いかけたいと思います。

スポンサーリンク

ABBA(アバ)のプロフィール

ABBAは、1970年代から1980年代初頭にかけて世界的な人気を博したスウェーデンのポップグループです。

引用元:JIJI.com

【メンバー構成】

ビヨルン・ウルヴァース
生年月日:1945年4月25日生まれ
・ギター担当
・グループのリーダー的存在
・作詞作曲を担当

アグネタ・フォルツコグ
生年月日:1950年4月5日生まれ
・ボーカル担当
・伸びのある声がABBAサウンドの特徴

ベニー・アンダーソン
生年月日:1946年12月16日生まれ
・キーボード担当
・グループ内の知的リーダー
・作曲を担当

アンニ・フリード・リングスタッド(フリーダ)
生年月日:1945年11月15日生まれ
・ボーカル担当
・ダンスが得意

ABBAは1972年に結成されたスウェーデンのポップ・グループで、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974で『恋のウォータールー』を歌いスウェーデン代表として優勝しました。
その後、『チキチータ』や『ダンシングクイーン』などで大ヒットを重ねますが、1982年には人気絶頂の中で解散をしています。
この解散の陰には二組の夫婦の離婚が大きくかかわっていると思います。
アグネタは子供に対する思いの強さ、フリーダはプライベートとキャリアの両立がABBAの活動方針と合わず離婚につながったのかもしれません。
また、ビョルンとベニーはABBAの解散を経ても変わらずにパートナーシップを組んでビジネスを展開し成功を収めていることからもキャリアへの思いの強さが感じられます。

スポンサーリンク

アグネタとビョルンの離婚(子供への思いのすれ違い)

アグネタとビョルンの離婚は、ABBAの成功と家庭生活の両立の難しさから生じた悲劇的な結果だったと言えます。

アグネタの立場

アグネタとビョルンはABBA結成の前年に結婚し、長女のリンダと長男のピーターという二人の子供がいます。

そして、ABBAの人気が一気に盛り上がってくることで、アグネタは子供といる時間が取れなくなるという問題を抱え苦悩することになります。

ツアーなどでもできるだけ早く帰れるように予定を組むようにスタッフにお願いをするなどグループにも影響を与えるようになります。

ビョルンの立場

ビョルンはABBAのリーダー的存在であったため、グループの成功を第一に考える立場だったと思います。

そのため、妻のアグネタが子供のために時間を作って欲しいという気持ちを理解できたとしても、世界を相手に活動を続けるためには両立が難しいことに苦悩していたのだと思います。

子どもと一緒にいたいという親心とは裏腹に、ビジネスを成功に導くためには犠牲を払わなければならないという苦悩が二人の結婚生活にすれ違いを生じさせ、離婚に至った原因なのかもしれません。

スポンサーリンク

ベニーとフリーダの離婚(プライベートとキャリアの両立)

ベニーとフリーダの離婚はABBAの成功と個人的な関係の間で生じた複雑な状況の結果だったと思います。

フリーダの立場

フリーダはABBAの成功により、充実した音楽活動を送っていましたが、その一方で私生活のバランスを保つことに苦心していたそうです。

ABBAという世界的な音楽グループに所属するということはプライベートを犠牲にしないと成り立たなかったのかもしれません。

そうした中で夫婦関係に亀裂が生じ、離婚する1981年にはベニーとの喧嘩が耐えなくなったそうです。

ベニーの立場

ベニーもABBAの成功と家庭生活の両立に苦心していたことがうかがえます。

1981年にはバンドのプロフェッショナルな側面と個人的な関係のバランスが崩れ、フリーダとの関係が悪化します。

そして、フリーダとの喧嘩が絶えない状況になってしまい、ついには離婚に至ってしまいます

スポンサーリンク

ABBAの解散理由と離婚の影響

こうして、アグネタとビョルン、フリーダとベニーが離婚したことで、それまでABBAという夫婦のグループとしての特徴が崩れることになります。

これは音楽活動に及ぼす影響は大きかったように思います。

例えば、1980年以前のアルバムでは

  • ジ・アルバム
    『Dancing Queen』や『Fernando』などが収録されていて、ABBAらしいポップサウンドからバラードまで幅広い楽曲が楽しめるアルバムです。
  • ヴーレ・ヴー
    『Chiquitita』や『Gimme! Gimme! Gimme!』などディスコサウンドを取り入れたアバの代表作の一つで、アップテンポな楽曲が多く、ダンスミュームックとして楽しまれました。
  • スーパー・トゥルーパー
    『The Winner Takes It All』や『Lay All Your Love on Me』などが収録された、より洗練されたABBAのアルバムでバラード曲も印象的

というように、いかにもABBAらしいアップテンポな曲からバラードまで明るいイメージの楽曲が収録されています。

それに比べて、2組の夫婦が離婚をしていた1981年に収録された最後のアルバムを見てみると、

  • ザ・ヴィジターズ
    『One of Us』や『Soldiers』など、暗い雰囲気の楽曲が多く、これまで聞きなれたABBAとは別の印象を受けるアルバム

というように、2組の夫婦が離婚してからのアルバムはこれまでとはかなり違った印象の楽曲に仕上がっていました。

これは、ABBAというグループ内でも同時期に4人のメンバー全員が離婚という人生の試練を迎えたことで、精神的にも明るさを維持することが難しかったのかもしれません。

そして、2組が離婚という選択をした翌年の1982年にABBAという4人をつないでいたグループも解散に追い込まれた理由だと思います。

ですが、4人とも音楽やミュージカルに対する熱意は消えることなく、その後もそれぞれに活動を続け、2021年には40年ぶりのオリジナル・アルバム『ヴォヤージ』を全世界に同時リリースしています。

これは、ABBAの楽曲が解散してからもずっと愛され続けていたことの証でもあると思います。

スポンサーリンク

ABBAの解散理由のまとめ

ABBA(アバ)のプロフィールは、1970年代から1980年代初頭にかけて世界的な人気を博したスウェーデンのポップグループです。

メンバー構成は、ビヨルン・ウルヴァースとアグネタ・フォルツコグ、ベニー・アンダーソンとアンニ・フリード・リングスタッドの2組の夫婦でしたが、2組とも離婚を機にABBAは解散を迎えました。

アグネタとビョルンの離婚の理由は二人の立場の違いからだったと思います。

アグネタは子供との時間を大事に思う一方で、ビョルンはABBAのリーダーとしてグループの成功を第一に考えていたと思います。

ベニーとフリーダの離婚の理由はABBAの成功と個人的な関係の間で生じた複雑な状況の結果だったと思います。

フリーダは充実した音楽活動を送っていた一方で私生活のバランスを保つのに苦心していたようです。

また、ベニーはABBAの成功と家庭生活の両立に苦心していたことがうかがえます。

このように、ABBAの成功によってプライベートな部分とグループの成功の狭間で夫婦間のすれ違いが生じたことが2組の夫婦の離婚の原因のようです。

ABBAの解散理由と離婚の理由は、それまでのABBAという夫婦のグループの特徴が崩れることで、楽曲にも影響を与えて解散という選択を迫られたようです。

それでは、最後までお読み頂き、ありがとうございました。

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました