高橋尚子の世界陸上棄権の秘話と鼻水とは?現在は車椅子?【まさかの一丁目一番地】

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こんにちは、ラクエンです。

7月24日のまさかの一丁目一番地でシドニー五輪女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子さんが取り上げられるそうです。

高橋尚子さんは1999年の世界陸上を自身の怪我で棄権するという逆境の中で、2000年のシドニー五輪に出場して世界記録で金メダルを取るという快挙をなしとげられました。

そんな高橋尚子さんですが、世界陸上を棄権したときの様子を小出義雄監督が語った秘話について、高橋尚子さんの鼻水のエピソードが衝撃的でしたので紹介したいと思います。

それと、高橋尚子さんのことを検索していて車椅子ということばをよく見かけるので、こちらについても気になったので調べてみたいと思います。

それでは、興味のある方は最後までお付き合いください。

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高橋尚子の1999年の世界陸上までの足跡

高橋尚子さんは1972年岐阜県に生まれました。高校時代には800mで県大会優勝に優勝し、大阪学院大学では1500mや3000mで優秀な成績を収めるなど、大学に在学していたの4年間で大きく成長しています。

大学卒業後に高橋尚子さんはリクルートの北海道合宿に合流したときに小出義雄監督率に素質を認められて契約社員として入社させてもらうことができ、小出義雄監督の指導のもとでマラソンに挑戦することになります。

1997年に小出義雄監督とともに積水化学に移籍してから高橋尚子さんは本格的にマラソンランナーの道を歩んでいくことになります。

そして、翌年の1998年名古屋国際女子マラソンで日本最高記録を樹立、バンコクアジア大会でも優勝するなど、2000年シドニーオリンピック女子マラソンの金メダル候補として注目を集める選手に成長していきました。

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小出義雄監督が世界陸上棄権について語った高橋尚子の鼻水の秘話とは

このように輝かしい成績を収めてシドニー五輪での活躍が期待されるようになった高橋尚子さんですが、オリンピック出場までの1年間は試練の多い年でもありました。

1999年8月29日のセビリア世界陸上を棄権したときの秘話

棄権というとマイナスのイメージが先にきてしまいますが、この世界陸上棄権がその後の高橋尚子さんの飛躍に繋がったといってもいいほど重要な意味がありました。

とは言っても、そこには小出義雄監督と高橋尚子さんの信頼関係と絆という次のようなエピソードがあったからなんですね。

高橋尚子さんはセリビアの世界陸上の8日前に左膝を痛めて、ストイックな高橋尚子さんが当日は休むほどだったのですが、欠場することは全く考えずにレースの前日までしっかり練習を続けていたそうです。

そして、高橋尚子さんが当日の朝にレース出場の準備をしていると、小出義雄監督から

「おまえな、強くなったな。しかし今回は棄権しろ」

と、衝撃的な指示をされたそうですが、その言葉を聞いた高橋尚子さんの様子を小出義雄監督はこのように振り返っていました。

ウオーって、もうこのぐらい(床のあたりを両手で示しながら)びしょびしょ。鼻はずるずる。あとで笑い話だけど、おまえの鼻は脳みそが溶けて鼻から出てるのかって言った

高橋尚子さんがここまで鼻水を流して悲しんでいる時の、その後の小出義雄監督のフォローが絶妙で、このように続けています。

ここで棄権はするが、その代わりに「オリンピックで必ず世界記録、大会記録を出す。将来、地球上で、女で2時間20分を切るのを一番最初にしてやる

引用元:スポーツ報知

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小出義雄監督と高橋尚子さんとの約束が実現

1999年3月の世界陸上を棄権してからは、10月には左腕を骨折したり、翌2月には食あたりによる腹痛で入院するなどのアクシデントが続いていましたが、3月の五輪最終選考会となる名古屋国際女子マラソンでは体調が万全ではない中で大会新記録で優勝し、シドニー五輪の出場を勝ち取ることができました。

「少しずつ階段を上って、ようやくオリンピックへの道にたどりついた。やるからには一番いい成績を取りたい」

世界陸上を棄権してから約1年もの間、様々なアクシデントに見舞われながらも諦めること無く最後のチャンスで大会新記録でシドニー五輪の切符をしっかり他に入れたという思いと、シドニー五輪への意気込みが伝わってくるコメントだと感じますね。

そして、誰もが知る通り、2000年シドニー五輪の女子マラソンでは五輪最高記録(当時)で金メダルを獲得していますが、その時の小出義雄監督と高橋尚子さんの満面の笑顔がお互いの信頼を表現されていると感じました。

後に高橋尚子さんはこの様に振り返っていたそうです。

小出さんは「今、8合目まで山を登ってきたんだ。でも吹雪になった。このまま行き続けても、ゴールをして頂上になったときに見える景色は吹雪だ。人は心配するし、命を落とすかもしれない。自分の満足だけで登ることを決めるのではなく、1回ここは下りて、またもっと大きな山を登らせてやるから」と高橋さんにじっくり説いたという。

「世界陸上を棄権するということは、もっと大きな山はひとつしかない。私の心が動くまで話をしてくださったから、前を向けた」と高橋さんは振り返っていた。

引用元:スポーツ報知

このエピソードを聞いて、人を信じることで人の心を動かし大きな結果をもたらすことに感動させられました。

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高橋尚子は現在は車椅子生活?

高橋尚子さんを調べていると車椅子という言葉をよく目にするので、気になって調べてみました。

すると、高橋尚子(たかはしなおこ)さんと漢字では同姓同名の高橋尚子(たかはししょうこ)さんであることがわかりました。

髙橋尚子(たかはししょうこ)さんについて簡単に紹介すると

生まれた年:1993年
出身:熊本県
会社:株式会社CREITの代表取締役
仕事:Webデザイナー、Youtuber、障害者と健常者が共に楽しめるファッションを展開
事故:2011年、17歳の時に頚椎損傷で四肢麻痺となり車椅子生活となる
現在の目標:サポートなしで歩行器を使って歩くこと

髙橋尚子(たかはししょうこ)さんは17歳の時の事故が原因で車椅子生活をされていますが、現在はご自身で事業を立ち上げて代表取り締まりをされているとても前向きで素敵な方だということがわかりました。

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高橋尚子(たかはしなおこ)のまとめ【まさかの一丁目一番地】

  • 高橋尚子さんは高校時代から大学、社会人と順調に成績を伸ばし、1999年の世界陸上では次のシドニー五輪のキンメダル候補として注目を浴びるまでに成長しました。
  • 高橋尚子さんが小出監督から世界陸上の棄権を告げられた時の秘話を「おまえの鼻は脳みそが溶けて鼻から出てるのかっ」と表現するほど鼻水を流して泣いたことを秘話で明かしていた。
  • 高橋尚子を調べていて車椅子という言葉をよく目にするのは、漢字で同姓同名の高橋尚子(たかはししょうこ)さんという別の方が検索されるからでした。

ここまで高橋尚子さんに突いてみてきましたがいかがでしたでしょうか?

それでは、最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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